むさしの郷とは
法人理念
『施設は障がい者の幸せのために存在する』これは、すべての障がい者のために、むさしの郷の施設は存在しているので、利用者を不幸にするものと斗わなければならない。
更に、
『施設は、障がい者を人間らしい受け止めのできるところでなければならない』
『施設は、生涯に亘って受け止めのできるところでなければならない』
人間らしい受け止めのできる施設の中で、親と同じように理解のある人達と暮らせるならば、我々の求めている子供の幸せは作れる。又、生涯を受け止められる施設が出来て親の死後も安心して任せられることが出来なければ、我々は安心して死ぬ訳にはいかない。行政の尻を叩き社会の理解を高めて、そこまで到達したい。そういう施設が無ければ作る実践も仕事である。
と云っているのです。
知的障がい者に対する偏見蔑視に苦しんだ時代に、障がい児にも教育を受ける権利がある、という親達の願いは、地域の親の会の運動を盛り上げ、その熱意から運動体としてのむさしの郷は誕生したのです。
ここに掲げた法人の理念は、今だもって少しも色あせてはおらず、施設から地域への道筋は昭和51年から取り組んだ生活ホームの実践でした。
時代は変わり新制度が発足して、施設の運営は非常に困難な時代を迎えています。地域福祉制度は未整備のまま見切り発車してしまい、走る方向も定かでなく、安全なブレーキ操作の方法もわかりません。
この混乱する時代にもっとも大切なのは“親こそ最良の運動者である”ということです。
施設の建設的な支援者として、子供の幸せを作り出すことが出来るのも親なのですから、社会福祉法人むさしの郷は、親と共に更に堅牢な組織づくりを進めていかなければならないと思っています。
これからのむさしの郷
「措置制度」から「障害者支援費制度」、そして「障害者総合支援制度」へと変革し、知的障がい者の福祉制度も身体障がい者、高齢者福祉同様、市町村に権限が委譲されました。
そんな中で地域福祉が障がい者本位に実施されると期待されていましたが、支援費制度が障害者にとって万全な対策ではないことがわかってきました。
利用者負担金の増額や支援費の2ヶ月遅れなど、経済的な締め付けは厳しいものになっています。
そのため施設経営の思い切った改革をしなければ、職員給与の支払いまで困難となる状況が予想されています。
また、利用者の経済的な影響も出てきますし、いまや施設は生き残りを賭けた経営に迫られています。
そのための対策としては、法人創立時の理念に立ち返り、それを不動のものとして、新たな決意で利用者の生涯を見据え、確かな施設事業を確立しなければなりません。
何が正しいのか、その方向を理解した上で、利用者のニーズに応える援助内容と方法を再検討しながらより効果的な経営に切り替えていこうと思います。
沿革【むさしの郷あゆみ】
- 昭和43年 4月
- 児童通園施設「草の実学園」設立。
知的障害児の教育免除・猶予に対し教育を受ける権利がある。
また、国には教育を施す義務がある、という主張により、熊谷市・深谷市・妻沼町の「手をつなぐ親の会」の運動が盛り上がり、自転車振興会の建設助成金により妻沼町弥藤吾1757に設立された。
同時に、小学を4クラス、中学を1クラス導入しサービス教育を開始。
法人認可が間に合わず妻沼町社会福祉協議会の名義を借りる - 昭和47年 7月
- 精神薄弱者更生施設「むさしの青年寮」を定員52名で設置。
同時に「社会福祉法人むさしの郷」法人認可。 - 昭和51年 1月
- 中軽度の人達が、町の中で当たり前に暮らせる試みを「高橋ホステル」で実施。テスト的に女子2名で妻沼町に設置する。むさしの青年寮に措置されたままの利用者が職員と共に生活を始める。
- 昭和52年 4月
- 「浅野ホステル」を妻沼町で本格的に開始設置。男女3名ずつ計6名。
「伊藤アフターケアセンター」を熊谷市内に設置。男子6名。
「荒井ケアホーム」を妻沼町に設置。男子3名。入居者全員一般就労となる。 - 昭和53年 6月
- 精神薄弱者更生施設「ながい寮」定員32名を設立。
重病化、高齢化した利用者の対応ができる特養と同様の設備をし、むさしの青年寮より21名の最重度者と60歳以上の高齢者を移行させる。 - 昭和58年 4月
- 「草の実学園」の教育導入は養護学校の開校により役割を終了。通所更生施設「けやき寮」に用途変更する。就労を目的とした職業訓練に特化した施設としてスタート。
- 昭和59年 4月
- 埼玉県基準生活ホーム「礎」定員9名を行田市に開設。
- 昭和61年12月
- 生活ホーム「未来」女子6名。「一路」男子6名を熊谷市に開設。
- 昭和62年 4月
- 東京都の市区町との契約で「生活寮」を委託契約により設置。
「のぎく寮」「さつき寮」「市村寮」「栄現寮」「年代寮」「ヒューマンネット」「ヒューマンサークル」により、総勢300名。 - 昭和63年 4月
- 「けやき寮」を増員し40名となる。
生活ホーム「福嶋」定員9名を妻沼町に設置。「礎」定員6名を熊谷市に設置。 - 平成 2年 4月
- 生活ホーム「東方」定員4名を深谷市に設置。「陽明寮」定員6名を熊谷市に設置。
- 平成 4年 4月
- 生活ホーム「コスモス」定員9名を設置。
- 平成 8年 4月
- 「けやき寮」を増員し定員60名となる。
- 平成12年 4月
- 埼玉県生活ホームをグループホームに変更する。
- 平成14年 1月
- 「むさしの青年寮」、日本財団補助事業で全面建替えをする。
- 平成23年 2月
- 「ながい寮」建替え移転する。
- 平成25年 3月
- 「グループホーム」1棟建設、定員10名
- 平成26年 2月
- 「けやき寮」建替え移転する。
- 平成26年12月
- 「グループホーム」1棟建設、定員10名
- 平成28年12月
- 法人が御下賜金を賜る。
御下賜金伝達式
平成28年12月21日、上田知事より伝達され 「御下賜金」を拝受いたしました。
伝達式には、お忙しい中、地元熊谷の県議会議員大嶋かずひろ様にも出席いただき、厳かなうちに式が行われました。
- 法人所在地
- 〒360-0125 埼玉県熊谷市上恩田514番地2
- 法人番号
- 7030005013302
- 電話
- 048-598-7007
- FAX
- 048-598-7008
- 代表者
- 理事長 山下 達也
- 法人設立
- 昭和47年7月1日
- 事業内容
- 施設入所支援
生活介護
短期入所
就労継続支援B型
共同生活援助事業
日中一時支援事業 - 法人職員
- ながい寮:45名
むさしの青年寮:41名
けやき寮:19名
未来ホーム:22名
合計:127名